昆陽の物語

昆陽は、行基さんによって造営された昆陽池で、開墾が進み、豊かな村にでした。
しかし、戦乱の時代である、室町時代末期からは戦火に巻き込まれないように、昆陽寺を中心とした自衛の街寺内町に発展する。
※寺内町とは寺院を中心として、堀や柵を作り、防衛拠点として機能した街。
全国的にもこの時代に、自衛手段として寺内が形成された時期であり、昆陽も人民を守る寺内町を形成する。
昆陽寺は有岡城の戦い(1578)で織田信長により焼失する。1624年から再建し、現在にいたる。
その後、江戸時代には西国街道(山陽道)が整備され、大きな宿場町となった。
はっきりした痕跡や史実があるわけではないが、武庫川付近に関所があったと推測される。
1872年 宿駅制度が廃止され、宿場町は衰退した。
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